必ず、というわけではありませんが、通常日本語で武道を語る際、道、という言葉は、自分自身を高めるといった意味に使われます。一方、術、という言葉は、戦における技能といった意味を持つことが多いです。ただしこれは現代日本語の文脈においてという意味であって、過去においてもそのように使い分けられていたということではありません。現在我々が剣術と呼んでいるものが、かつては剣道と呼ばれていたということも十分にあり得ます。術と道という言葉の解釈については、西洋ではDraegerが提唱し、一般的になっています。
この解釈に基づけば、真剣を用いて、現実の戦いに勝つことが剣術ということになります。剣術の主な目的は、敵に勝つことです。一方剣道は、剣を学ぶことで自分自身を向上させることに重きを置いているといえます。また剣道は、スポーツとしての側面も強くあり、大きな大会は日本国内で広く認知されています。したがって、剣道は日本の剣士精神においては、より哲学的側面と競技としての側面を持っているといえます。しかし、1700年代初頭以来、剣術を指南していたすべての流派が、剣術の己を高めるという側面と、哲学的な意義を強調していたのも確かです。
剣を用いての戦いを学ぶという意味では、剣術の教義はより細部まで行きとどいているといえます。剣道のほうが標的な技術に関して制限があるからです。剣道の場合は、通常竹刀を用います。竹刀で有効な技は、真剣では使えないこともあります。剣術では通常竹刀は用いず、真剣を使った実際の戦いで、相手を切る技術を学ぶために、木剣や鉄の刀を好みます。剣術の稽古は、切り合いの技術を学ぶことと、相手と組んだ型の練習が主です。安全のため、自由な打ち合い稽古の場合は、木剣や刀はめったに使いません。
いくつかの流派では、型を行う際に、実際に体に触れることがありますが、これは予め順序がはっきり決められていることがほとんどです。防具を用いる流派もあります。馬庭念流では小手と詰め物のされた頭巾、新陰流では特に袋竹刀(竹刀の先が細かく裂かれており、革で覆われているもの)を用いることで知られています。